『熊本・宮崎・鹿児島6つの名城 九州3県のすべての日本100名城3日間』<各日バス一台あたり30名以下/(5月9日発以降)ワクチン・検査パッケージ適用ツアー>
(補足情報)※1名1室同旅行代金!日本100名城・続日本100名城は(公財)日本城郭協会選定
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出発日・旅行代金
カレンダーをクリックすると申込画面に進みます。
カレンダー内の料金は【】利用時の大人1人当りの旅行代金です。( )内は子供1人当りの旅行代金です。
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諸税が別途必要な場合や、幼児旅行代金やオプションが設定されている場合がございます。詳細につきましてはご希望の出発日をクリックし、申込画面でご確認ください。
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( )内の表示がない場合は子供料金の設定がございません。

最新の受付状況のご確認方法
次の画面で部屋・人数等を選択し、「次へ」ボタンを押すと、その先の「新規会員登録・ログイン選択」画面へ進みます。最新の受付状況は、この「新規会員登録・ログイン選択」画面の上部に表示されますので、ご確認ください。
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諸税が別途必要な場合や、幼児旅行代金やオプションが設定されている場合がございます。詳細につきましてはご希望の/出発日をクリックし、申込画面でご確認ください。
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問い合わせ多数 であっても、最少催行人員に満たない時は中止となる場合がございます。
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代理のお申込や旅行のプレゼントも、インターネット申込で承っております。
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バスで出発するツアーや、現地集合・現地解散ツアーに限り、WEB上で受付を終了していても、お席が前日までご用意できる場合がございます。(WEB限定受付ツアーは除きます。)その際は、各旅行センターまでお電話でお問合わせください。
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残りが5席以下の場合は、カレンダーに 残人数 1〜5が表示されます。
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残人数 1〜5については、お客様のキャンセル状況や募集人数枠の増減により変動いたしますので、予めご了承ください。
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残室状況は次の画面にてご確認ください。
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残人数 1〜5または キャンセル待ちが表示されていても 催行決定 が表示されていないツアーの催行は未定です。
カレンダーの見方
【催行状況】 お客様のお申し込み数によって催行(出発)が確定いたします。
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「問い合わせ多数」であっても、最少催行人員に満たない時は中止となる場合がございます。
アイコンなし | 催行は未定です。 |
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催行決定 | 催行(出発)が決定しています。 |
問い合わせ多数 | お問い合わせの多い出発日です。 |
催行中止 | 催行が中止になりました。 お申込み済みのツアーが催行中止になった場合、文書又はお電話にて連絡いたしますのでお待ちください。 |
【受付状況】 現在の受付状況を表します。
現在、インターネットでのお申し込みが可能な受付状況です。
受付中 | お申し込みを受付しております。 |
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キャンセル待ち | 現在満席(もしくは満室)です。お席とお部屋が確保できた場合にのみ、弊社から連絡いたします。 |
リクエスト受付 | リクエスト受付となります。 (お客様からの予約希望受付後に、航空機座席・お部屋などを確保できた場合にのみ正式なお申し込みとする受付や、内容や日程が未確定な観光を含むツアーでそれらが確定した場合にのみ正式なお申し込みとする受付です。) 手配が確保できた場合、また、内容や日程が確定した場合は、弊社からご連絡いたします。 |
現在、インターネットからお申し込みいただけない受付状況です。
電話にて お問い合わせ |
インターネットでの受付は終了しております。詳しくはお電話にてお問合せください。 |
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満席 | 満席です。受付は終了いたしました。 |
受付終了 | 受付は終了いたしました。 |
受付開始前 | 受付開始前のツアーです。 |
おすすめポイント
おすすめポイント
九州3県のお城を巡ります
八代城跡(続日本100名城)
(※イメージ)
人吉城跡
相良氏が鎌倉時代から35代670年の長きにわたって在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁となりました。球磨川とその支流の胸川を天然の堀とし、江戸時代末期に施された石垣の一部にははね出し工法を応用した「武者返し」と呼ばれる石垣が見られます。平成期に隅櫓や大手門際の多門櫓、続塀などが復元され、「人吉城公園」として整備された城跡は、桜の名所として多くの花見客で賑わいます。(日本100名城・93番)
(※イメージ)
熊本城
熊本城!慶長12(1607)年、茶臼山と呼ばれた台地に加藤清正が当時の最先端技術と労力を投じた、名城熊本城が完成しました。波乱と栄華の満ちた400年の歴史あり。
日本三名城・熊本城。地震崩壊後、着々と建物の復元作業が続いています。
今回、通常非公開の見学ルートにご案内 !
鹿児島城(別名「鶴丸城」)
関ケ原の戦いで西軍側に属して敗北した島津忠恒(家久)が徳川家康の薩摩征伐に備えて築き、以後、廃藩置県まで270年にわたり島津氏の居城となりました。朝鮮出兵や関ケ原の戦いの影響で財政が苦しかったこともあって、石高77万石の薩摩藩の城とは思えないほど質素な造りとなっています。天守閣を持たない城の造りに関しては、幕府に配慮し恭順の意を示すためだったとも言われています。現在も本丸と二の丸の周囲の石垣がほぼ完全な形で残されており、明治6年(1873)の火災により焼失してしまった正門「御楼門」も2020年3月末で復元を完了。
今でも石垣には西南戦争で政府軍から受けた弾丸の跡が残されています。(日本100名城・97番)